mm-radio 2019/1/24

第10回のマサキとマサトのラジオです!

今回のゲストは、マサキさんの高校からの友人である有田光宏さんです

有田さんは20代の頃、7年間ほど海外で留学をしたり旅をして過ごされていたということで、その時のお話を伺ったり、サラリーマンとして働いていた時の話からお父様の会社を継いでからのお話など、有田さんの経験されたことをたくさん話してくださいました!

有田さんが高校時代からの友人ということで、皆さんの高校時代についての質問が来ましたのでご紹介します!


マサキさんはどんな高校生だったんですか?昔から知ってて今のマサキさんをどう思う、こんな風になると思っていましたか?


 今のまっちゃん?
 もう全く想像できないですよね。180度違う性格になってると思うし、生き方もそうだと思うんですけど。

性格変わってますか?

 変わったと思いますね。
 どっちかというと明るくなりましたね。
 やっぱり人と会う仕事になっていったからかもわかりませんし、もう18からずっと知ってるんで。16か。
 彼のしんどい時も見てきたつもりあるんで、五反田で住んでる時なんかなあ。もう8時か7時くらいに出て行って、サラリーマンやってる時ですけどね。夜中の12時帰ってきて。もうくたくたの顔も見たことありますし。それ考えるともう今生き生きしてもう、本当。

 じゃあその今の質問の延長線上で、その時を見てたまっつんを見て、なんかこうなるかなっていうのは、今とは違うものであればどういうものを想像しました?

 どっちかっていうとこう、ビジネスするのであれば、野心ですよね、野心の塊やったと思うんですよ。若い頃の松永って。
 今は野心じゃなくてこう、競争の社会でずっと生きてきたと思うんですよ。今はどっちかというと協力の社会で生きて行ってるような人生観になってると思うんで。
 だから人のつき方とかみんなに愛され方とか、まあそのままお金持ちになっていったとしても、今みたいに周りにたくさんの人がおるとか、そういう感じにはならなかったん違うかなと思いますね。

 なるほど。言葉が上手やね。チョイスが。言葉のチョイスが上手やなあ。
 今のまっつんを見てどう思うんですか?

 彼はメンターなんで私の。学ばせてもらってますんでね。
 こういう風な像でありたい。自分がなりたいなっていう背中追いかけて行ってるんで。まあ彼も武藤も一緒ですけどね。リョウちゃんも一緒ですけど。
 だから、彼らが言うことだいたい率先してやろうと思ってるんですよ。ここ行ってこいとかね、あの人と会ってこい、こういう仕事。まあ仕事のことはあんまり言わないですけど。こういう考え方どうやとか。
 こうやってね、呼んでいただいたんで。時間合えば必ず行くっていうので来させてもらってるんですけど。ほんま彼みたいになりたいんですよ。本当に。


高校生の時の将来の夢はなんでしたか?高校生の時は、30歳とか40歳の自分ってどうなると想像していましたか?


 高校ちゃんと卒業してないからあれやけど、なんか俺が元々の発端でいくと、中学校の卒業文集に、将来の夢って書いてあって、それに僕ホストって書いてるんですよ。

 高校行った時に学校やめてヤンチャして。京都の祇園行ってホストやったんですけど、常々思うのは、その時やりたいなって思ってたことは、多分完成体にはなってないけど、絶対やってる。
 できてないことで言ったら俺40歳になったら働かへんって言ってて、海外で住むってことを20代ですごい言ってたけど、まだ日本にいて、仕事もしてってしてるけど、海外で挑戦もできてて。
 日本で食えることがなくなったら、まあスリランカという国で、細々とは生活はできるかなってなってるから。そういうのはできてるから、その都度こんなんしたいなって。例えば、24歳の時にフィクサーになりたいと思ってて、20代は。俺人生150年かかんなっていうので諦めてはいない。

なるほどね。有田はどんなやった?高校生の時の夢。

 本当にずっと思ってるのは、小学生の時にダービーサリオンっていうゲームに出会って、そこから競馬ハマりまして。

 凱旋門っていうレースがあるんですよ。フランスのパリの近郊で行われる。そこの凱旋門っていうレースに、日本人がオーナーの馬勝ったことないんですよ。一回も。
 多分100年ぐらいの歴史あるのかな。ちょっと歴史わからないですけど。でそれに挑戦するのがホースマンの夢なんですね。日本の。日本のホースマンの夢で。
 そのために、そこの馬、初めて日本人のオーナーでここの馬、凱旋門勝たせたいっていう。要は馬主になってそれをやりたいっていう。本当ただ単純なその夢。これ小学校の文集に書いてるんですけど。

 馬主になるとなるとなかなかお金かかるじゃないですか。なんか年収がなんぼとか。なんかそういうのがあったんで、お金持ちにならなあかんねんなとか。

他にはないですか?具体的に。

高校の時で言うとラグビーやってたんでまあ僕の弟じゃないですけど早稲田行って荒ぶりたいとかありましたけどね。もうすぐにけつ割りましたけど。

やっぱああいう今ワールドカップとかで盛り上がってるけど、その世代からワールドカップ出るぞとかそういうのはあったんですか?ラグビーやってて。

ないね

僕はあったよ。

やっぱ花園が甲子園みたいなもんで花園は行くぞ!みたいな?

それはもう絶対ですね。そこは。そこだけに僕はどちらかというと命かけてたという感じです。

まっつんは大学でラグビーやったん?

やってないです

それはなんで?

 僕はあのキャプテンなってから監督との方針が僕は気に食わなくて。
で監督と喧嘩何回もして。監督やめさせてしまったんですよね。でそこからもう絶対に自分がやめさせた代わりには、自分が全国行かしたるねんっていうのがあって。でもうとにかく必死で。だからこそやってたっていうのがあると思うんですけど。
 でも結果は歴代の先輩と変わらない大阪決勝で負けるやったんですよね。そうなった時に絶対僕もうラグビーやったらあかんっていうふうに思って。それでもうやめましたね。もうパッと。
 大学に行くためのラグビーじゃなくて。もうここで絶対に日本一になるっていうためだけのラグビーをやってたんで、1年間特に。だからこそですかね。

へえ~。で夢はなんやったんですか?そのころの

 夢は。そのラグビー以外でやったら将来は経営者なりたいですね。とにかく大金持ちになりたい。
 父親がその建築業でそれこそバブルの時やったんで母親がその給料袋に万札詰めてるのずっと見てたんで。
 今でこそ振り込みですけどその時手渡しやったんですよね。封筒に100万円ずつ渡してる。何千万ってあるんですよ毎月。
 これを配る側かその封筒もらう側かどっちがいいかなって思ったら絶対配る側やと思って。
 だから物心ついた時から割と経営者になるっていうのは決めてたんですけど。
 ただそれがこう具体的にどうやったら経営者になるのかとかは割と有田から教わった部分があったりして。それこそ高校1年か2年の時に僕初めて本を読んだんですよ。
 その本は有田からもらったんですよ。あの孫正義の世界一のなんかのね。世界一になった時のなんかのあれですね。一瞬だけなんですけど。ビルゲイツ抜いて。でその時にこういう人間がおると。これ俺ら超えるかなんか。みたいなんで。
 なんじゃこいつっていうのが一番最初のきっかけで。だから僕憧れる経営者って言ったら父親像しかなかったんですけど、初めて、「孫正義さんっていう人おるんや」って。
 そこからよりなんかその孫正義さんは18歳ぐらいの時から社員さん2、3人の前でみかん箱の上に乗って、ソフトバンク、その時はソフトバンクって名前やったかわからないですけど、1丁2丁3丁、豆腐のような数え方で、1丁2丁3丁の会社になるんやっていうことをなんかプレゼンしてたみたいなんです。
 その翌月ぐらいにその社員さんは全員おらんようになってたみたいなんですけど、笑い話みたいなんで。
 その時に僕がその何億とかっていうレベルの想像やったのを、1兆まで変えてくださったのも孫正義さんでしたね。
 だからその時はもう1兆2兆の会社作ったるねんっていうのをそのありたからもらった本で僕はなんか描くことができたんですよね。

その本はどこから手に入れました?

それ本屋で買ったと思うんですけど。

その孫正義の本を渡そう思ったんですか?

 その時今テレビとかももちろんあったと思うんですけど、孫正義さん出てきてね、こういう風にしたっていう要はビジネスマンとして憧れですよね。
 で父親とかもその話してたんですよ。こんな人出てきたで、いうて。松下幸之助さんから稲葉さんとかになって、今のこのITのところでいくと孫正義いう人が出てきて。
 孫正義いうたら元々僕と一緒で韓国から来られた、ルーツのある方みたいなんです。で、そういうので多分父親が教えてくれたんかな、一番初め。ちょっとうろ覚えですけど。 
 で、ビジネスマンなりたいってって話してたんで、こういう本読んだことあるか?って言ったのは覚えてますね。

このほかにも、有田さんに本を読む習慣がついたご両親の教育方針や、マサキさんと有田さんの高校時代のお話など、盛り沢山の回になっていますのでぜひYouTubeからお聞きください!

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